河合隼雄先生〜大学4回生の頃

"そうなるように僕が導くわけじゃないんです。もともとそういう可能性をその人が持っているんですね。その人がもともと持ってるものが自然に出てくるのを待つよりしょうがない。だから,カウンセリングというのは大変なんです。待ってるだけの商売ですよ(笑)。本当に気が遠くなるぐらい気の長い話しですね。
大切なのは,ただ待ってるだけじゃないということですね。希望をちゃんと持っている。そこが違うんです。だから,長いこと待っていてもイライラしないんですね。下手な人は,待っているうちにいらつくんです。そうすると,相手もいらつくわけです。その点,僕なんかはもう堂々と待っていますから(笑)。
「何もしないことに全力を傾注する」。それはものすごいエネルギーのいる仕事ですよ。よほどエネルギーがなかったらできないです。そのエネルギーをうまくコントロールできないから,爆発してイライラするんですね。"

〜「無為の力」河合隼雄・谷川浩司〜

河合隼雄先生の本は大好きで、学生の頃から新刊が出るたびに買い求めては読んでいた。実家の「書庫」には今も100冊以上ある。
大ファンであったが一度もお会いしたことはなかった。
しかし、会おうとしたことはあった。

大学4回生の春のことだ。学生課の掲示板に、京大教育心理学科への編入の募集と試験の案内が貼ってあるのを見つけた。
当時、河合先生は教育心理学科で臨床心理学の講座をもっておられた。
ぼくは入学した滋賀大経済学部がいやでいやでたまらなかったが、ずるずるとそのまま経済学部の4回生になっていた。
試験は9月だったか。
ぼくは就職活動をやめて、編入試験を受けることにした。

試験には失敗した。

就職先も決まっていなかったし、留年することにした。
が、適当に期末試験を受けていたら規定単位を取ってしまい、卒業してしまった。
親には内緒にして学校へ行くふりをしてブラブラしていたが、そのうちバレる。
母親は泣いていたなあ。

その後、NTTになんとかもぐりこんだ。既卒者でも募集・採用していたのはNTTぐらいだったのだ。電々公社から株式会社にかわるその年だったので、なにか特殊だったのだろうか。

大学同様ウツウツとした会社生活であったが、入社から4年後、新体道に出会うことになる。

新体道はぼくにとってとても大切なものになってゆく。
当時ぼくはむさぼるように稽古をし、内なるものを解放/開放し、それにカタチをあたえることを繰り返すことによって、だんだんと自分自身や、日常生活の営みの実感が感ぜられてゆくのであった。

ぼくはユング心理学のような、「そういうようなこと」をしたかったのだが、そのやり方として、ガクモン的なアカデミックなアプローチはぼくには合わなかったということだろうか。
後から考えてみれば、新体道が、「そういうようなこと」を追求する、ぼくなりの方法であったのだ。
だからこそ編入試験にも落っこちた。
いや、それをするにはそもそもアタマが足りんかった、ちゅーこっちゃ。

というようなワケで、河合先生には一度もお会いしていないのだが、やはり、先生は、ぼくに対しても、恐らくは全力を傾注して、何もしないでそこにおられたのであった。